心は憂い夕を吐いて

つらつら綴る。

ライブが音源を超える

最近気付いたことがある。

こんな服を買いたい。と思い描きながらお店を巡る。見つからないまま、季節が終わる。季節が一周する頃、思い描いた通りの服が店頭に並ぶ。

この国に行きたい。とネットで情報を探してみる。観光としてはマイナーなのか、情報が少ない。なぜそんな国に、と友人には怪訝な顔をされたりもする。そんな国がしばらくして、女子に人気の渡航先!!と銘打って大々的に取り上げられる。

私が関心を持つことが、そんな具合に、そう遠くない世の中で話題になることが多い、と気付いたのは最近のことだ。ただの偶然かもしれないし、それだけ私が大衆的な人間なのかもしれない。

数年前、私の好みにドンピシャで刺さったのが米津玄師だ。メロディー、声、映像全てが好みで繰り返し聞いた。下世話な言い方だが、「この人はいつかきっと来る」そう周りに言い続けていた。一方で当時(今ほど)広く知られていない彼の素敵な音楽を、多少の優越感を持って、聴き込むことが幸せだった。

今や「米津玄師」といえば紅白歌合戦にも出場した人気のミュージシャン。好きなアーティストを私に尋ね、「?」となった人も、今なら相槌が打てるだろうし、ブレイク当初「よねづげんし」と呼んだ人もきっともう間違いに気づいているだろう。

当たり前だ。世に広がる、それだけの音楽なのだ。その音楽を、世の中よりも一歩先に、見つけられた自分が少し誇らしい。

今週発売のシングルを大事に、大事に聞いている。彼の10枚目のシングルだ。

常々思っていたことだが、彼のシングルは安すぎる。正確には価値に対して、価格が安すぎるのだ。

特に映像盤。たった1500円の出費であの高倍率で名高いライブ映像が20分弱も見られるとは。見どころが多く、あっという間に見終わってしまう。

個人的にはenの「ごめんね」が最高だ。こんなにも、優しい眼差し/声で歌うのを見ていると、何故かほろりと泣きそうになる。「LOSER」は手を振り上げて乗りたくなるし、「amen」のファルセットは神々しい。

ライブが音源を超えているなと思う瞬間がある。

曲が完成してもなお、甘んじることなく「もっとこうすればいい曲になるんじゃないかと思う」と試行錯誤していたと聞いたことがある。ライブアレンジが音源よりも素敵だと思うのは、その言葉の通り、一度世に放した曲でもきっと彼なりに模索を続けているからなのではないかと思う。

そうしたライブ映像が僅かながらでも収録されている贅沢さ。2000円弱で手に入れられるとはとても信じられない。


オンラインで音楽が簡単に手に入る今の時代、⠀正直CDなんて買う意味はない(意訳)⠀といつか米津さんが話していたことがある。

ある面では確かにそうだよなあと思う。私も最近は実際ダウンロードで済ませることも多い。⠀


ただそういう考えが根にあるからか、彼のCDには手元に音源を置いておける、本来の「物」としてのCDの価値だけに留まらない、高い付加価値を感じる。⠀


映像を繰り返し見たり、しばらく手触りを確かめたり、部屋に飾ったり…。それが新譜が出たらすぐに手にしたいと思う理由だ。

そしてこの新譜を聞きながら想像する。いつかライブで披露される時、どう音源を超えるのか。

馬と鹿

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でしょましょ

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